2011年4月4日月曜日

大震災のほとりで(1)

ちょうど大震災が起きた時、僕は東横線の渋谷駅のホームに足を降ろそうとしているところだった。揺れを自分が感じるよりも前に、駅員のアナウンスの妙さの方に気をとられていた。
3月11日、14時46分ごろ、その構内に響いた声は確かこんな感じだった。
「た、ただいまダイヤが乱れてお、おります!」
強く、途切れ途切れな声が耳に入ってきて、どうして到着するやいなや、ダイヤのアナウンスをこんなに慌ててするんだろう、そう思ったとき、視界がゆっくりと傾いた。
後で考えてみると、おそらく電車が停車するよりも前に揺れは始まっていたのだろう。ダイヤが乱れています、のアナウンスの理由は結局のところよくわからなかった。駅員は混乱していて、「地震の危険」を伝えるのではなく、何故か「ダイヤの乱れ」を伝えた。
いずれにしても駅員の混乱した声は、常規を逸した非常な事態を伝えるには十分だった。

僕たちの電車は、揺れの中ぎりぎり停車することができ間一髪のところで扉を開けることができた。のだと思う。これも後から分かったことだけど、その時分、線路上にいたほとんどの電車が、その後数時間ものあいだ線路上に取り残され、乗客たちは缶詰にされたのだから扉を開けてもらえたのは不幸中の幸いだった。

ともあれ、気持ちが悪いほど司会が大きくゆるりと傾き、足がよろめいた。

体は左に傾いているのに、視界は右に傾く、まるでだまし絵のような感覚だった。
それが地震だと気がついた瞬間、直感的にまず上を見上げた。弱そうなアーチ上の屋根から何か降ってくるんじゃないかと思ったからだ。
ここから一刻も早く脱出しなければならない、そして頭を何かで覆わなければならない、そう思って頭にかぶせたのは、右手に持っていたこの本だった。
右手の人差し指は、時代が1930年代に突入したちょうど半分を超えたあたりをしおり代わりに挟んでいて、そのまま片手でぱっと開いて傘を作るにはうってつけだった。ハードカバーの本は傘にもなるんだな、そんな事をかすかに思いながら改札を目指して壁沿いに駆けた。直前に読んでいたのが、関東大震災を経た後の時代だったのもあって、目の前の地震に対し、脳が強制的にデジャヴュを起こそうとしていた感じをよく覚えている。あるいは、走馬灯とデジャヴュが混じっていたのか、とにかく脳が妙な覚醒の仕方をしていたのをよく覚えている。

ともあれ、周りの人々がしゃがんだり、混乱しているのを横目に一気に改札を駆け抜けた。それから、階段を降り、地上に出た。その頃にはこの地震がどこかにろくでもないことを引き起こしているという疑いようのない不安が頭を満たしていた。

地上の光景は一瞬で全身の毛をよだたせた。
みな、時間が止まったかのように、立ち止まって空を見上げている。
もしかして「ドラゴンヘッド」みたいなことが起き、火山灰でも降ってきているのかと、おびえて同じように空を見上げたら、向かいの建設中の高層ビルの屋上の2体のクレーンが、くるくる回りながら揺れている。まるでクレーンに命が宿り首長竜に化したかのようで、そいつらが暴れているように見えた。

首長竜にざわつく渋谷を横目に、僕は次に乗り換える予定だった井の頭線へ向かい、電車が止まっていることを確認するとオフィスに向かって文化村通りを小走りで駆け上がりはじめた。
家電がひっくり返っているんじゃないかと心配していたヤマダ電機はそれほど混乱した様子もなかったけれど、ドンキホーテは店を閉め、客を中に入れないように店員が外で警備していた。
詳しい状況が分からず、電話もメールも通じないので、とにかくオフィスに向かって歩き続けることにした。途中にあった八百屋のラジオから流れてくる音で震源が宮城の方だということが分かった。八百屋にはめずらしく小さな人だかりができて、みんなラジオに耳をすませていた。

(書きかけ)

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この5年間はずっと、学校で教えてもらえなかった、20世紀前半に起こったことを自分なりに調べたりして考えてきた。だけど、これからは、もう少し20世紀中盤を調べようかな。


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